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第五福竜丸事件(第五福龍丸、だいごふくりゅうまる)は1954年3月1日、ビキニ環礁でアメリカ軍の水素爆弾実験により発生した多量の放射性降下物(死の灰)を浴びた遠洋マグロ漁船である。無線長だった久保山愛吉(くぼやま あいきち、1914年6月21日生まれ)が約半年後の9月23日に死亡した。

。(「第五福竜丸」ウキペディアより)

 

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心臓部のエンジン   「心臓部であるエンジン部分は、廃船時に船体から切り離されて貨物船「第三千代川丸」に搭載されていたが、この貨物船は1968年に航海途上の三重県熊野灘沖で座礁、沈没した。その28年後の1996年12月、民間有志(『第五福竜丸エンジンを東京・夢の島へ』和歌山県民・東京都民運動)によって海底から引き揚げられ、第五福竜丸展示館の脇に展示された。」

(「第五福竜丸」ウキペディアより)

(わかったこと・思ったこと)

① 第五福竜丸が被ばく後も普通の漁船として運行されていたことに少し驚きました。

② その後、廃船となり、東京の港に打ち捨てられた、船を「あっ!第五福竜丸だ」と発見した人は

とても偉いと思いました。それは1967年のことです。

「1967年に老朽化により廃船となり、使用可能な部品が抜き取られたあと、東京都江東区夢の島の隣にある第十五号埋立地に打ち捨てられた。同年、東京都職員らによって再発見されると保存運動が起こり、現在は東京都立第五福竜丸展示館夢の島公園)に永久展示されている。」(「第五福竜丸」ウキペディアより)

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(わかったこと・思ったこと)

③ 当時、大きく報道したのは、「読売新聞」で、以後、読売新聞は、被爆した人々、漁船について報道しつつ、一方では

「原子力の平和利用」を推し進めてきた。

(「第五福竜丸」ウキペディアより)

④ 第五福竜丸の事件は、単にこの船だけが被ばくしたのではなく、かなり広範囲に日本の漁船が被ばくしたことが

展示等で分かります。それから原爆、水爆実験を行った周辺に(特にビキニ環礁周辺)に現在もなお、大きな被害を

もたらしていることを知ることができました。