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岸田政権は、今国会に様々な法律を成立や成立の方向に動いているが、その中に今後の日本にとって心配なものが含まれている。特に4つのことを上げてみたい。本日は、そのうち2つを述べたい。

GX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法である。

この法律は、原発の60年超運転を可能にすることが含まれている法案である。

原発政策「推進」へ転換と言われるこの法律の問題点は

  1. 老朽化した原発は、原子力規制委員会が点検するというけれど、やはり危険性の心配が高まるのを避けることができないと思われる。現在原発23基が停止中で、いずれも停止期間は11年以上。「追加延長」の対象はあいまいで、なし崩し的に老朽原発が延命される恐れがある。
  2. 2021年10月閣議決定した第6次エネルギー基本計画では、「可能な限り原発依存度を低減させる」と明記されていた。原発の新増設、建て替え(リプレース)も盛り込まなかった。今回、業界側の主張を丸のみして、原発への投資環境の整備さえもが盛り込まれた。
  3. 2011年東日本大震災・福島第一原発事故の反省・教訓を忘れたようである。頻繁に起こる地震。みんな心配ではないのかな。野党の日本維新の会、国民民主党などがこの法案に賛成回るのも私には理解できない。

(参考資料・2023年6月1日東京新聞 朝刊)

個人に割り振られた12桁のマイナンバーの利用範囲を拡大する改正関連法が6月2日,参議院本会議で可決、成立した。

マイナンバーカードをめぐるトラブルが相次いでいる。本日の新聞(2023年6月6日毎日新聞朝刊)でも「本人の希望なく登録」マイナ保険証ミス5件の記事があった。

にもかかわらず、「全部のデータ点検が終わるまで進めてはいけない」という声があるにもかかわらず、法律として成立してしまった。今後様々なトラブルの続出,それによる不信が増大すると思われる。

  1. 現在の健康保険証は、2024年秋に廃止し、マイナンバーカードに保険証の役割をもたせた「マイナ保険証」に一体化する内容が盛り込まれた。これにより、常時マイナンバーカードを持ち歩かなくてはならなくなり、紛失、盗難、それによりなりすましが多発すると思われる。高齢者は、特に扱いが難しく窓口で混乱が予想される。本来、自宅に(紛失を防ぐために)補完する趣旨だったように思われるが。
  2. 今回の改定により、すでにマイナンバー法に規定されている事務に「準ずる事務」であれば、法改正しなくても,省令の見直しだけでマイナンバーの利用が可能となる。利用範囲は、例えば自動車登録などに拡大できるようになり、様々な元のマイナンバーカードが紐づけ荒れていく可能性がある。そうするごとにトラブルも増えていくだろう。
  3. このように、マイナンバーで一元管理していくと、個人の番号が一度に流出し、多くの情報が芋づる式に抜きさされるリスクが懸念される。
  4. 河野大臣自身が、「個人情報を考えれば分散管理の方が今後も望ましい」と答弁しているが流れは、一元管理の方へ進んでいっているように思われる。
  5. 政府は「より良い暮らしへ」というけれど、政府により個人の資産・経済の把握・ゆくゆくは徴兵制施行の時の経済状況を把握することによる「経済的徴兵」につながる恐れがる。
  6.  参考までにドイツでは、「共通番号」の導入は憲法上許されないと連邦議会は見解を出している。ナチスによるユダヤ人などへのホロコーストや、安楽死という名の障害者(児)への虐殺行為―それは、個人情報を国勢調査などで集めリスト(名簿)にすることで行われた。―への反省が強くあるとのことでした。

(参考資料 毎日新聞2023年6月3日朝刊

「マイナンバーはこんなに恐い」 黒田 充 日本機関紙出版センター)

 

 

 

戦争ストップ

2023年2月24日で、ロシアによるウクライナ侵攻1年を迎えた。毎日新聞2月24日の朝刊の見出しは、「戦況膠着 絶えぬ犠牲 ウクライナ侵攻1年」である。現時点では、戦争終結の見通しを持つことができない状況である。

そもそも、この戦争(ロシアの言い方では、「特別軍事作戦」)は、クリミア併合で味をしめたロシアが短期決戦でウクライナを支配下に置き、東部の一部をクリミアのようにロシアに取り組めると考えたからだ。目論見が外れて現在は、長期戦となっている。
戦争を始めた側は、短期で制圧できると思ってもそうでないことは、歴史を振り返れば多々あることは言うまでもない。

少し例を挙げれば、

① 世界第一次世界大戦は、1914年7月18日に始まった。当初みんなの意識には、「クリスマスまでには、終わる」という意識だったそうだ。しかし戦争は長期戦となり、終戦は、1918年11月11日である。戦闘員900万にと非戦闘員700万人以上が死亡した。史上死亡者数がもっとも多い戦争の一つである。

②  日中戦争は、1937年7月7日盧溝橋事件から始まった。当初、蒋介石政権が降伏するとみていた節も見られる。同年の南京占領でも中国の抵抗は続き、1945年まで(日本の降伏)まで続いた。(1931年の満州事変から始まった捉えると、日中戦争は、15年で、「15年戦争」とも言われる。)

③ ベトナム戦争も同じである。1964年にアメリカ軍がトンキン湾事件を起こして参戦したことで、一気に全面戦争に突入した。戦争終結の1975年4月30日まで、10年近くも続いた。

④ プーチンは、多くのロシア兵に死者を出し、ウクライナでの戦果を挙げられないと自身の政権が持たないと考えるのか、現時点での戦争終結には入ろうとしていない。

⑤ ウクライナの人々も、自分たちの生活を守るため徹底抗戦と必死である。

戦争で今までの生活を失った人を支援し、戦争を終わらせる努力をする側も長期戦の気持ちで臨まねばならないだろう。

原子力発電所内部

ロシアのウクライナ侵攻から2か月を過ぎ、依然戦争状態は続いている。ロシアのプーチン大統領核使用を示唆するような発言もしている。(核兵器とは直接言及しなかったが、「誰も持っていないような全ての道具(兵器)」を所有しているとして「必要なれば使用するだろう」との考えを示した。(毎日新聞4月29日朝刊より)

もう一つの心配は、原子力発電所が,こうした戦時下では、意図しなかったにしても、被害にある可能性が高まっていることである。

一時、ロシアの管理下に置かれた、チェルノブイリ原発では、「ロシア兵、素手で放射性物質」という見出しで、4月10日に、ウクライナのチェルノブイリ原発を管理する当局が、撤退したロシア軍が原発の研究施設に保管していた放射性物質を持ち去ったとフェイスブックで発表した。(毎日新聞4月12日の朝刊より)

放射性物質や、放射能に対する知識が十分でない人が、危険な行動を誘発する心配がとてもある。本当に心配である。

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第五福竜丸事件(第五福龍丸、だいごふくりゅうまる)は1954年3月1日、ビキニ環礁でアメリカ軍の水素爆弾実験により発生した多量の放射性降下物(死の灰)を浴びた遠洋マグロ漁船である。無線長だった久保山愛吉(くぼやま あいきち、1914年6月21日生まれ)が約半年後の9月23日に死亡した。

。(「第五福竜丸」ウキペディアより)

 

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心臓部のエンジン   「心臓部であるエンジン部分は、廃船時に船体から切り離されて貨物船「第三千代川丸」に搭載されていたが、この貨物船は1968年に航海途上の三重県熊野灘沖で座礁、沈没した。その28年後の1996年12月、民間有志(『第五福竜丸エンジンを東京・夢の島へ』和歌山県民・東京都民運動)によって海底から引き揚げられ、第五福竜丸展示館の脇に展示された。」

(「第五福竜丸」ウキペディアより)

(わかったこと・思ったこと)

① 第五福竜丸が被ばく後も普通の漁船として運行されていたことに少し驚きました。

② その後、廃船となり、東京の港に打ち捨てられた、船を「あっ!第五福竜丸だ」と発見した人は

とても偉いと思いました。それは1967年のことです。

「1967年に老朽化により廃船となり、使用可能な部品が抜き取られたあと、東京都江東区夢の島の隣にある第十五号埋立地に打ち捨てられた。同年、東京都職員らによって再発見されると保存運動が起こり、現在は東京都立第五福竜丸展示館夢の島公園)に永久展示されている。」(「第五福竜丸」ウキペディアより)

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(わかったこと・思ったこと)

③ 当時、大きく報道したのは、「読売新聞」で、以後、読売新聞は、被爆した人々、漁船について報道しつつ、一方では

「原子力の平和利用」を推し進めてきた。

(「第五福竜丸」ウキペディアより)

④ 第五福竜丸の事件は、単にこの船だけが被ばくしたのではなく、かなり広範囲に日本の漁船が被ばくしたことが

展示等で分かります。それから原爆、水爆実験を行った周辺に(特にビキニ環礁周辺)に現在もなお、大きな被害を

もたらしていることを知ることができました。

皆様、あけましておめでとうございます。

今年も三多摩平和ネットワークの活動をがんばり、平和活動を推進したいと思います。

戦争に反対していきましょう。

 

平和交流会2-7589

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